支援とは何か?書籍出版のご案内

日本障害者モータースポーツ協会の代表、佐藤が、この度書籍を出版しました。

障害者モータースポーツの普及に務めてきた経験や、その他の様々な経験を積み上げた上での、支援とは何か?

この書籍は、皆さんとの20年間にわたる交流から生まれました。

〇紹介文
支援は善意だけで完結しない。
本書『支援とは何か』第1部は、冒頭の問い――「あなたのその笑顔は誰のためか」――を手がかりに、
医療・介護・福祉の現場から家族・学校・職場まで、
私たちの関係にしみ込むパターナリズムをていねいに解きほぐします。
善意が他者の声をかき消す瞬間、支援と治療が重なり合う局面、文化や慣習(日本的パターナリズム)の作用。
実例とシンプルな図解で、現場の違和感を言葉にし、「結果だけでなく、その結果とともに生きる物語」へと視点を移す一冊です。
読者対象:医療・看護・リハ、介護・福祉、教育、心理、ソーシャルワーク、地域支援に携わる方、家族のケアに向き合う人。
※本書は一般的な知見の提供を目的としており、個別の医療判断の代替ではありません。三部作の第1部として、続巻では感情と関係の設計(第2部)、社会・制度の再考(第3部)へと進みます。
〇本編抜粋
前書き
国連の障害者権利委員会による日本への総括所見の公表から三年が経ちました。
まずは、この所見の作成に尽力された、日本国内外の障害者団体や人権団体、個人の方々に深い感謝と敬意を表したいと思っています。
一方で、この所見に対して、自己正当化に奔走しているように見える日本政府には、残念な思いを抱かざるを得ません。
実は私自身、この総括所見がまとめられるまでの長い議論の過程をまったく知りませんでした。その存在を知ったのは、発表後の報道を通じてです。
「自分のアンテナが錆びついていた」――その事実を突きつけられた瞬間でもありました。
公表直後には、日本の障害者団体を中心に幅広い反応があり、国会質疑でも取り上げられました。
特に、障害当事者であり国会議員でもある人たちが、大きな役割を果たしたと感じます。
2024年には、障害者差別解消法の改正による合理的配慮の義務化など、一定の前進も見られましたが、
総括所見の公表から三年が経った今、果たして具体的な行動はどこまで進んだのか。私は必ずしも十分とは言えないと感じています。
この総括所見には多くの指摘や改善要求が並びますが、その根底に共通する課題があります。
それが「パターナリズム」という言葉です。
本書では特に、日本独自の歴史や文化の影響を色濃く受けた形として「日本的パターナリズム」と呼びます。
パターナリズムは、日本語で「父権主義」や「温情主義」と訳されます。
聞き慣れない言葉であること自体、この国の無自覚性を象徴しているのではないかと感じますが、
この無自覚性こそがパターナリズムを強力に支える土台となり、解決を困難にしています。
パターナリズムは、人間の本能や感情の一種であると同時に、国や地域の歴史・文化・宗教観の影響を受け、その意味や強度が変化します。
日本的パターナリズムは、有史以来の文化的背景のもとで根強く生き続け、医療・介護・障害者福祉の土台となり、
日本人そのものに対する心の基盤として深く根を張っています。
本書の基本的スタンスは、日本人が持つパターナリズムへの無自覚性から脱し、自覚的な人間へと変わること。
ここを目的にしています。今まで何千年もの歳月をかけて積み重なってきた日本的パターナリズムは、そう簡単に消え去るものではありません。
無自覚性を克服することこそが、日本的パターナリズムを乗り越えるための出発点であり、医療・介護・福祉分野における課題克服の第一歩になると私は考えます。
本書では、パターナリズム、特に日本的パターナリズムの正体を明らかにし、それが医療・介護・福祉の「支援」にどのような影響を与えているのかを探ります。
そして、それを乗り越えることは可能なのか、可能であればどのような方法があるのかを、私自身の経験も交えて読者の皆さんと共に考えていきたいと思います。
そして本書は全3部作の内の第1部となり、第2部では「障害者はかわいそう」と言う感情から、
日本的パターナリズの実例を紹介し、第3部では全体のまとめとして、支援とは何かについて考え、
支援と名の付く役割を担うすべての方へ向けて、お話ししたいと考えています。
本書は、2025年夏に行われた、ボランティア組織「インクルージョンジャパン」が主催した設立記念セミナー「障害者はかわいそうを乗り越える」の講演録をベースに、加筆・訂正を加えたものです。
注意事項
*本文中の図は、セミナーで使用したパワーポイント資料をもとにしています。この図は巻末に一括して掲載していますのでご参照ください。
*特に注記がない限り、資料中の写真はすべて生成AIによるものであり、特定の人物・団体・事例を示すものではありません。
*文字起こしや編集・加筆・修正の過程で、生成AIを執筆支援として活用しています

著者略歴
1963年7月、東京都大田区生まれ。現在、東京都青梅市在住。
若者の夢を応援するマネージメント会社を立ち上げた後、2000年頃より障害のある人々との関りが始まり現在に至る。
インクルージョンジャパン代表。社会活動家。作家。
この書籍をこれまで共に生きてきた福祉作業所の利用者のみなさんに捧げます。ここに記されたすべてのことは、彼らから学んだのです。
(1)導入 あなたのその笑顔は誰のための笑顔ですか(→図1参照)。
まずは資料最初の二枚の写真をご覧下さい。一枚目は福祉作業所やデイサービスなど、利用者の人達が毎日通ってきて、夕方になると帰っていくような場所をイメージしたAI生成画像です。このような風景を私たちは日々経験しますが、その時私たちは何を感じているか。是非思い出してみて頂きたいのです。例えば私ならこう思います。日中色々なことが施設の中で起きます。利用者同士のトラブルが起こり、言い争いが起きることもある。また泣き出してしまうような人もいれば、一日中何も言わずにうつむいている人がいたりします。そしてその輪の中で笑っている人もいる。私が働いていたB型福祉作業所はこういう場所でした。そのような混沌とした1日が終わって、それでも、利用者の人たちは写真のように笑顔で帰っていく。私たちはそれを扉から見送りつつ「また明日ね」と言って笑顔で手を振る。利用者もそれに呼応して振り返りながら手を振って帰っていく。福祉作業所やデイサービスの現場で働く方であれば、誰もが経験する一場面です。この時私は何を感じているのか。思い起こしてみると多分以下のような感情ですし、皆さんも同じではないかと思います。
「ああ今日もやって良かった。この仕事に就いて良かった。明日も頑張ろう」。
この気持ちは実際にこのような現場で働いた人にしか味わえない、一種のご褒美、ギフトのように感じるのではないでしょうか。
二枚目の写真は、病院でよく見る光景です。辛い治療や入院生活を乗り越えた患者が、笑顔で退院していく。病院の玄関で別れを惜しむこの瞬間、私は思う。皆さんもきっと思うでしょう。
「ああ 本当に良かった。私は報われた。私のやったことは正しかった。明日も頑張ろう」。
この場面も先ほどと同じで、現場という内側にいる人にしか見えない喜びの風景であり、一種の達成感とも言えると思います。
実はこの二枚の写真は、この本の主要テーマである、[支援とは何か?] を考えるための、皆さんへの問いかけなのです。私が皆さんにこの本を通じて問いかけたいと思っていることはこういうことです。
「あなたのその笑顔は誰のための笑顔ですか?」
です。そして、皆さんが今感じていらっしゃることを記憶して頂いて、本書第3部の最後にもう1度この写真をお見せいたしますので、最初に感じたことと、最後に感じたことを比較して欲しいと期待しています。もちろん変わったかどうかはみなさん次第ですし、答えがあるわけでもありません。なぜなら、私たちのような支援する側の人間は、常に答えのない問題と向き合いつつ、何らかの回答をし続けることが仕事でありながら、実は回答が正解かどうかは私たちにはわからない。矛盾を感じながらの進んでゆくのが支援の営みだと思います。私たち支援者は先生ではありませんし、先生でも答えられないような難問を投げかけてくる相手に応答し続ける。これこそが支援する者が相手と向き合う時の基本姿勢です。
さて、「その笑顔は誰のための笑顔ですか」この問いかけだけだと意味がよくわからない。一体何のことを言っているのだろうと思うかもしれませんので、少し補足したいと思います。つまり私が問いたいのは、私たちの笑顔は[結果]に対するものなのか?それとも[過程・プロセス]に対する笑顔なのか、という問いです。先ほど私が言ったような、「ああ、やって良かった。喜んでくれて良かった。支援して良かった。私のやり方は正しかった。私が役に立った、という感想や実感が何を表しているかと言うと、一種の自己満足です。達成感と言ってもいいかもしれませんし、自己評価と言ってもいいわけですが、これは皆さんが支援者として、患者や利用者に寄り添ってきた[結果]への一種の自己評価と言えます。「私のやり方が正しかったからこそ結果(患者や利用者の笑顔)が良かったのだ」。このような結果が全てという考え方のことを帰結主義と呼びます。終わりがどう終わるかが全てであって、プロセスは二の次だという考え方です。つまり二つの写真の場面で私たちが無意識に感じることは、結果に対する自分への喜びだと言えるでしょう。しかし結果に対する自分の喜びは、所詮主観でしかありません。患者の笑顔が患者の満足を表しているのではないかと考えることは出来ますが、何に対して笑顔なのかは謎のままです。
これが最初に見て頂いた、私も皆さんも感じる別れの場面での実感、喜びの正体です。では、その笑顔が結果に対するものであるならば。プロセスに対する笑顔とは何なのか。なぜこのようなこと面倒くさいことを、考えなければならないかというと、支援とは[結果ではなくプロセス]の中に現れるものだからです....

 

 

 

2025年10月06日